勁について

 私が行う気功の流派は、「少林内勁一指禅」と言います。また、太極拳の解説でも「勁は・・・・・にある。」などと言います。デジタル大辞泉 で勁の意味を調べると、けい【×勁】人名用漢字] [音]ケイ(漢) [訓]つよい ぴんと張りつめて、つよい。力がつよい。「勁弓勁草簡勁雄勁などと出ていますが、イマイチ、ピンときません。
日本武術太極拳連盟の実技テキストでは、次のように記載されています。

勁力について その① 
勁力(けいりょく)は、武術の動作の目的に沿って意識的に体の中から導き出される力の総称であるこ武術の種目によって要求される勁力の質`量は異なり、長拳などでは軽快、迅速な動作で切れ味の鋭い力を発揮することが要求され、南拳では重く、剛直で爆発するような力を発揮することが求められる。太極拳では一一般に、柔らかく弾力性のある力を用い、発する。

1)勁力は、身体各部の動きを合理的に協調させて、動作目的に沿った質量の力を運び、発することである。
体の一部分の筋肉や骨格だけを用いて硬張した力を発したり、反射運動的に力を出すことは、勁力を用いていることにならない。また、いつも最大限大きな力を発することが、適切な勁力の運用とは言えず、動作の目的に沿った質量の力を過不足なく発揮することが求められる。
従って、勁力を適切、順当に発し、用いることができるかどうかは、身体各部の動作を合理的に、動作の目的に合うように協調をさせること、そして、その動作を導く意識の働きが大いに関係する。

2)勁力は、力が用いられ、発せられる状態によって様々に分類される。強く、はっきりした力を「明勁」と言い、それにたいして柔らかく、相手の動きに対応して変化できる含みを持ちながら働く力を「暗勁」と言う。力の働く距離が比較的長いものを「長勁」、 それにたいして短い距離で働く力を「寸勁」と言ったりする。また、自分が力を発するのではな
く、相手に触れて、相手の力の質量や方向を察知することを「聴勁」、「憶勁」などと言い、相手の力を外して、相手を無力化することを「化勁」と言ったりする。
いずれにしても、力の働く路線と方向および力の働く部位=力点を正確に把握して行わなければならない。

3)陳式太極拳や42式総合太極拳の一部の動作では、はっきりとした大きな力を爆発的に発する動作があり、これを「発力動作」あるいは「発勁動作」と言う。これにたいして、24式太極拳や楊式太極拳系統の動作の大部分は柔らかく、相手の動きに対応して変化できる含みを持ちながら動く「暗勁」を用いる。
これらの動作は、本書では;
ー  一つの動作の完成時(定式)には最も合理的に勁力を発することができる姿勢を作るが、実際には発力しないで、次の動作に移る。この場合、定式の時に、拳面や拳根に「勁力が達する」、「勁力は…にある」という表現で記述している。
定式以外の途中動作でも、腕や掌や拳で力を伝え、勁力を運ぶ動作を行うが、この場合、「勁力は….にある」、「勁力は…から~に移る」等の表現で記述している。

勁力について その②
棚勁について:
「棚」は広義では「一定のまるみがあつて、スプリングのような弾力性を有し、前進、後退、回転のいずれの動作にも含まれている螺旋運動(纏糸てんじ)を伴う太極拳の代表的な勁力」を言う。太極拳推手では、相手の力を外す(化す)ことも、弾くこともできる柔らかく、粘りのある棚勁を養うのであり、単に"突っ張ることを棚勁と誤解してはならない。

勁力について その③
手法の項で、「勁力は….にある」、「….に達する」と述べていることについて、次の点を理解しておく必要がある。
1)勁力は、体重を移動し、腰を回転させるなどの体幹部の動きと、腕や掌の動きを組み合わせて生み出される。
2)「….にある」、「….に達する」とは、主に、勁力を相手に伝える部位のことであり、その意味では、力を働かせる場所=力点であり、また生み出された力が到達する場所=着力点を示す。
3)しかし、力点のある方の腕に、実際に力を伝えるためには、もう一方の腕の働きにも十分注意をはらわなければならない。
右手で「推掌」を行う時(左楼膝拗歩)は左手は掌心を下に向けて、肘を沈め、手首を座腕にし、右手が前に推し出す動作に協調させて、下に押さえる。下肢の重心移動や腰の回転と協調させて、両手の動作を行うことにより、勁力が右手、掌根に達するのである。
同様に、右手で「挑掌」を行う時(左下勢独立)は、下から1上にあがってくる右手にたいして、左手を上から下に押さえる動作、腰を左に回す動作をバランス良く組み合わせなければならない。
搬欄捶の動作では、右手が「搬拳」を行うのに合わせて、左手は上から下に押さえる動作を協調させなければならない。
4)本書では手法の説明として、力点のある手に限って勁力の部位を述べているが、実際に手法を行う場合には、もう一方の手の働きに注意をはらい、体幹部の動きと組み合わせて行わなければならない。

これでも、完璧には理解できませんが、私は、“気”とは違う種類の体に内在する力、であり、それを体外に取り出した状態を“発勁”と呼ぶ・・・・・と解釈しています。太極拳では発勁を使う手前で次の式に移るので実際にはその力を発揮しませんが、空手の瓦割りなどは発勁の典型的な動作だと感じています。瓦で強く手を叩けば、手の骨は砕けるでしょうが、勁を発すると瓦の方が壊れるのです。勁力の正体は不明ですが、動作の判断に迷いがあっては勁力は発揮できません。

高校時代に「この瓦ほんとに割れるかな・・・・・」と雑念が湧いたとき、そのまま振り下ろした拳が痛い目にあいました。
つまり、無心でないと勁力は発揮できないということだと思います。

 

 

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