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易経は未来を覗く双眼鏡・・・・・ -易経研究会-

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◎ 易経の解釈法

◎ 1.陰陽の解釈

1、陰と陽 それぞれの意味
陰は, 

 

陽は、


それぞれ、このように書き記す。陰陽の解釈は下記の通り。

陽が「強い」に対し、陰は「弱い」
陽が「男」の象徴であることに対し、陰は「女」の象徴。
陽が「大人(たいじん)」であるのに対し、陰は「小人(しょうじん)」
※ 大人とは、尊く立派な人。
小人とは、つまらない人や悪人・卑しい人。
陽が「大きい」に対し、陰は「小さい」
陽が「能力がある」に対し、陰は「能力がない」
陽が「正」に対し、陰は「邪」
主従関係で言えば、陽が「主」であり陰が「従」
陽が「明るい」に対し、陰は「暗い」
陽が「動き進む」に対し、陰は「退き止まる」
陽が「固い」に対し、陰は「柔らかい」
陽が「中身がある」に対し、陰は「中身がない」
陽が「存在する」に対し、陰は「存在しない」
陽が「天」に対し、陰は「地」
陽が「太陽」に対し、陰は「月」
……等々、全ての物事・事柄は、この陰陽に当てはめられるとされる。

そして、こうした意味を持つ「陰」と「陽」の二つが色々に合わさって、次の八卦(はっか)を作るが、上記のイメージをもった上で、下記の八卦の意味を考えてみることが大事ある。

◎ 2、易経の八卦(はっか)それぞれの意味 

八卦(8種類ある卦)について、それぞれの意味を学ぶ。
卦(はっか)それぞれの意味のことを「象意(しょうい)」と言う。


乾(けん)= 天 の象意
━━━
━━━
━━━

これは、三つすべてが陽で成っている、唯一の卦(か)である。

なので、上記に記した「陽」を象徴する事柄が、より強調された存在と言ってよいだろう。

したがって「乾」の象意(しょうい)としては、

「強い」
「動き進む」
「尊い」
「大人(たいじん)である」
「能力が大変高い」
「中身がぎっしり詰まっている」
「たいへん立派である」
 ……等々
その他に、一家で言えば「夫・父親」を指すことも覚えておくと良い。

「乾」といったら、自然とそのようなイメージが頭に浮かぶようにしょう。


坤(こん) = 地 の象意
━  ━
━  ━
━  ━

これは、先ほどの乾と対照的に、三つすべてが陰で成っている、唯一の卦(か)である。

なので、「陰」を象徴する事項を、より強調した存在と言ってよい。

「従う」
「弱い」
「能力がない」
「小さい」
「柔らかい」
「存在しない」
 ……等々
「坤」の象意(しょうい)としては、先の「乾」の逆として、対のイメージで覚えておくと良い。

したがって、一家で言えば「妻・母親」ということになる。


兌(だ)= 沢 の象意
━  ━
━━━
━━━

この「兌」は、イコール「沢」であるが、「沢」とは山々の間に流れる川である。

下にある陽の二本の印が川を表し、その上に陰の印が乗ることによって、山の間に流れるような感じが伝わってくる。・・・・・と覚えよう。
そこから「兌」の正象(せいしょう)を「沢」としている。
また、二つの陽の上に、一つの陰が乗っている。

「陽」は尊く強いものですが、その上に小さく弱い者が乗っかっている相である。
この小さく弱いものは、この状況を喜ばないはずはないので「兌」には、

「喜ぶ」
「楽しむ」
 …などという意味がある。
また、これは陰陽の印をちょうど人間の頭上から見たかたちに見立て

「口」
「おしゃべり」
「口先が上手い」
などという意味もある。

━  ━
━━━
━━━

また「兌」のかたちは「乾」の三陽の内のひとつが欠けているかたちとも言える。

そこに由来して、「欠けている」、「中途挫折」…などという解釈もある。
また、一家で言えば「三女」を象徴するものであり、転じて幼い女の子を指す。


離(り)= 火 の象意
━━━
━  ━
━━━

この「離」は、イコール「火」なのであるが、これも陰陽の印のかたちで太陽を描いているように見えると覚えよう。
太陽は火の塊であるから、太陽のように見えるこの形を「火」としたようである。
そのように「離」は火に由来するので、象意(しょうい)としても、
「明るい」
「華やか」
「明らかである」
「(心などが)燃える=情熱」
 …などの意味がある。
また「火」をつけて燃やすと、燃え尽きて何もなくなるところから

「変化しやすい」
「熱しやすく冷めやすい」
「ついたり離れたり不安定」
といった意味もある。


震(しん) = 雷 の象意
━  ━
━  ━
━━━

この「震」は、イコール「雷」だが、陰陽の印のかたちが雷というわけではなく、このかたちは「地下で根が連なっている草のかたち」とされている。

下の一つの陽が、連なっている根であり、上の二陰が、地上に伸び生えた草を表している。

そこから「震」の卦(か)には、草の意がありますが、易経を読む上で主となってくる象意(しょうい)としては「雷」や「地震」などからイメージされることのほうが多い。

具体的には、

「驚く」
「騒々しい」
「大きな音」
「奮い進む」
…等々である。

またこの「震」の形は、先ほどの「坤」(何もない)ところに、ひとつの陽が現れた形と見て、

「新たなものが生ずる」
という象意も持っている。

それにちなんで、一家で言えば「長男」を象徴する。

なぜなら「子供がいなかったところ(坤)に、ひとつの陽(男)が生ずる」わけであるから、長男を指すのである。

巽(そん) = 風 の象意
━━━
━━━
━  ━

この「巽」は、イコール「風」である。

これは、陰陽の印のかたちを見て、解りやすいと思う。

このページの頭のほう…「陰と陽のそれぞれの意味」の中に、「陽が天であり、陰が地」と記した。

この巽の一番下のひとつの陰を「地」と見て、その上の二つの陽を「地の上を吹く風」と見るのである。

象意(しょうい)としては「風」に由来し、

「迷う(風はあちこちに吹くので)」
「従う(風は物の形に従って吹く)」
「伝わる(風にのって伝わるイメージ)」
などというものが代表的である。

また、ひとつの陰が二つの陽の下に入り込んでいることから、

「隠れる」
「入り込む」
「へりくだる」
といった意味にもなる。

また弱くて軽いひとつの陰の上に、重たい陽が二つものっており、

「基礎が脆弱である」
といった意味にもなる。

一家で言えば、この巽は「長女」を表し、転じて年若くはない女性を指すことにもなる。


坎(かん) = 水 の象意
━  ━
━━━
━  ━

この「坎」は、イコール「水」である。

「兌」のところでは、陰陽の印のかたちを山と川に見立てましたが、この「坎」でも同じである。

真ん中の陽が「川」であり、両脇を挟む二つの陰が「山」にあたる。

これは真上から俯瞰している感じで、山と山の間に川が流れているのである。

真ん中が窪んでいるわけである。

実は「坎」の場合、この「落ち窪んでいる」ということが重要でして、そこに由来し

「険しい」
「危険」
「悩む」
などといった困難を意味する。

また「水」は、一時も休むことなく低いほう低いほうへ流れ、移動し続る。

そこから

「苦労」
といった意味合いも強いのである。

また、少し違った見方…、何もないとされる「坤」の中に、一本の芯(陽)が通ったかたちに見て、

「誠実さ」
「貫く」
といった、芯があるような見方をすることもある。

また、一家で言えば「次男」に当たる。

これは、長男の一陽が初爻であったのに対し、次男は二爻にずれているからである。

時間の経過は、初爻 → 上爻へと進むというルールがある。

初爻が初めに生まれた長男であり、二爻はその後に生まれた男子である。

この考え方は「長女」や「次女」などでも、全て同じである。


艮(ごん) = 山 の象意
━━━
━  ━
━  ━

この「艮」は、イコール「山」である。

見たままのかたちが、もう「山」である。

象意(しょうい)としては「山」に由来し

「動かない」
「高い」
などの意味がある。

また、山というのは土を積み重ねて出来ているので

「重ねる」
という象意もある。

そして、陰陽の印のかたちを山ではなく「門」のかたちとして見ることもある。

また、一家で言えば「艮」は「三男」に当たる。



これで一通り、易経の八卦(はっか)についての説明は終わるが、
ここに書き挙げたことは要点に過ぎず、まだまだ色々な象意がある。

しかし、初めから詰め込み過ぎると、かえって要点がぼやけてしまうので、大事なことだけを書き連ねる。

これで充分、易経自体を読むことが出来るはずであるし、ほとんどの占いに通じると思う。

なお、解りやすく書くために「乾」の次に「坤」の説明を書いたが、一般的な順序としては、
「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」
(けん・だ・り・しん・そん・かん・ごん・こん)であり、これを呪文のようにスラッと言えるようにするのが本来のかたちである。

正象(せいしょう)では、
「天・沢・火・雷・風・水・山・地」
(てん・たく・か・らい・ふう・すい・さん・ち)である。

両方をスラッと言えるようにしよう。


〇 「爻(こう)」について 

易経では「爻(こう)」というものを用いて占いをする。



たとえば「地天泰(ちてんたい)」という卦を例にしてみる。

陰陽の印で地天泰を書くと、下ようになる。

━  ━
━  ━
━  ━
━━━
━━━
━━━

これはよく見ると、陰と陽の印が、六段の層になっている。

その「六段の層」には、それぞれ下のように「位」が定められているのである。

━  ━ 上爻(じょうこう)   
━  ━ 五爻(ごこう)
━  ━ 四爻(よんこう)
━━━ 三爻(さんこう)
━━━ 二爻(にこう)
━━━ 初爻(しょこう)


そしてさらに、初爻〜三爻までの塊を内卦(ないか)とし、四爻〜上爻までの塊を外卦(がいか)とする。

易経の内卦と外卦

「爻」には色々と意味がある。
もう少し「爻(こう)」について補足すると、次のようになる。

時間の流れは、初爻 → 上爻へと流れている。
それに伴い、初爻をその卦の入り口(始まり)とし、上爻を出口(終わり)とする。
内卦(ないか)を近いところとし、外卦(がいか)を遠いところとする。
内卦を自分とし、外卦を相手とすることもある。
内卦を内側とし、外卦を外側とすることもある。
内卦を下方とし、外卦を上方とすることもある。
初爻の位が一番 低く卑しい位であり、上爻が一番高く尊い位である。
権力の類については、そのピークは五爻に当たる。
ですので五爻は「君位」とされ、会社で言えば社長ですし、一家で言えばお父さんである。
四爻は、社長をすぐそばで支える専務のような立場であり、初爻となれば平社員である。
上爻はと言えば、会長に当たる。
※ 易経には「卑しい位」などという言葉がよく出てくるが、
それは身分が低いとか年が若いとか、未熟であるといったこと等を総じて言っているようなところがあり、
一般的な「卑しい」という言葉のイメージをそのまま短絡的に当てはめてしまうと、占断を誤ってしまう危険があるので注意しよう。


「陰位」と「陽位」、「正」と「不正」
それぞれの爻には、下のように「陰の位」と「陽の位」が定められている。


陰位 ━ ━ 上爻
陽位 ━ ━ 五爻
陰位 ━ ━ 四爻
陽位 ━━━ 三爻
陰位 ━━━ 二爻
陽位 ━━━ 初爻

見ると解るが、初爻・三爻・五爻(奇数の爻)は、陽の位…すなわち「陽位(ようい)」である。

そして、二爻・四爻・上爻(偶数の爻)は、陰の位…すなわち「陰位(いんい)」である。

そして、もっとよく見てみると、何かに気づくかもしれない。

特に、二爻と五爻に注目してほしい。

これは「地天泰」の卦(か)であるが、二爻は陰位なのに「陽」━━━ が入り、
五爻は逆に、陽位なのに「陰」━ ━ が入っている。

このような、ちぐはぐなことは理想的ではない。

このように、ちぐはぐになってしまっている爻を「不正」と言う。
正しくないのである。

陽位には「陽」が、陰位には「陰」が入ることが理想であり、そのように正しい位にいる爻のことを「正」と言いう。

そして「正」であれば、基本的に「志が正しい」、
「不正」であれば「志が正しくない」と解釈する。



「中を得る」とは何か?
易経の解説の中には「中(ちゅう)を得る」とか「中を得ていない」などという表現が頻繁に出てくる。

これは何を意味しているのだろうか?

もう一度、内卦と外卦を示した図を見てみてほしい。

易経の内卦と外卦
「内卦」の真ん中の爻は「二爻」である。

そして「外卦」の真ん中は「五爻」である。

つまり「中を得ている」というのは、それら真ん中にある二爻と五爻のことを言っているのである。

それ以外の爻はすべて、中を得ていない。

「中を得ている爻」(つまり二爻と五爻)というのは、易経において「バランスが良い」という見方をする。

手前過ぎず、行き過ぎてもいない位置…、真ん中にあるからである。

易経では「中を得ていること」を最も重んじるため、六十四卦の中でも、二爻と五爻というのは良い意味を持っていることが多いのである。

一番よくないのは、中を得ておらず、しかも不正(陰位なのに陽など)…、このような爻には大体、良くない意味がつけられている。


〇 応爻(おうこう)と 比爻(ひこう)

     

 上段の記事までで「爻(こう)」や「内卦」「外卦」については、だいたい理解できたと思う。

このページでは「応爻(おうこう)」と「比爻(ひこう)」というものについて学ぶ。
易経の解説を読んでいると「陰陽で応じている」とか「陰陽で比している」などといった言い方がよく出てくるので、これらが解らないと易経を理解することができない。

応爻とは…? 初爻と四爻の関係が「応爻」である。 二爻と五爻の関係が「応爻」である。 三爻と上爻の関係が「応爻」である。 この三種類の関係のことを「応爻」と言い、どんな場合においても、これは変化しない。

山水蒙(さんすいもう)の卦(か)を例にして図にすると、下のようになる 応爻。初爻と四爻 応爻。二爻と五爻 応爻。三爻と上爻 二つの爻をまたいだ関係が応爻であることが解る。


比爻とは…? 比爻とは、隣り合う爻のことを指す。
初爻にとっての比爻は、下記のように二爻だけである。


比爻 初爻 二爻にとっての比爻は、下記のように初爻と三爻である。
比爻 二爻 同様に、三爻にとっての比爻は、二爻と四爻、 四爻にとっての比爻は三爻と五爻、 五爻にとっての比爻は、四爻と上爻となる 上爻にとっての比爻は、下記のように五爻だけである。

比爻 上爻 では「応爻」と「比爻」で何を見るのか? 応爻と比爻の位置については、上記のとおりである。

では次に、応爻と比爻を意識しながら、何を見ればよいのかというお話である。

陰と陽については、少し前のページでも触れたが、陰と陽は引き合うが、「陰と陰」「陽と陽」など同じものでは引き合わない。 これは磁石をイメージしてみれば解りやすいのである。 もう少し付け加えるなら「陰と陰」の場合は互いに弱く、引き合う力がない。

「陽と陽」では、互いに強いため、反発し合う。 そうしたイメージでもって、易経を読まれると良いと思う。 そして、先ほどの「応爻」に、これを当てはめて考える。

易経において、応爻に当たる関係は、協力し合う関係であるべきなのである。 応爻とは「正しい相手」とされ、とても大事な相手なのである。 その関係が「陰と陽」であるなら、協力できる。 例えばそれが、上司と部下なら相性の良い上下関係を結べる。 恋愛なら、互いに惹かれ合うことになる。

このように応爻が「陰と陽」の関係にあることを「応じている」などと表現する。

しかしもし、応爻関係にあるものが応じておらず「陰と陰」なら、協力体制が弱々しいである。 そして「陽と陽」ならば、お互い反発する。 ひとつ例を挙げてみる。


たとえば「山水蒙(さんすいもう)」という卦(か)がある。 山水蒙とは「先生が未熟な者を教え導く」という内容であるが、その先生を表す爻は「二爻」である。 二爻の応爻は、下のとおり「五爻」である。

山水蒙二爻の応爻 これは、二爻と五爻が「陰陽で応じている」かたちである。 そして二爻が先生であるから、正しく陰陽で応じている五爻は「素直な良き生徒」となる ( 山水蒙五爻の解説も読んでみてください、陰陽で応じていますので良い内容が書かれている。)

では、次に「比爻」について、どんな見方をすれば良いのかというお話である。
「比爻」とは、隣り合う爻であることは上記に説明したとおりである。 これもやはり、応爻と同様に、基本的には陰陽で引き合う関係が理想的である。

陰陽で引き合う関係にある場合「比している」などという表現をする。 再び「山水蒙」の卦であるが、今度は四爻に注目してみてほしい。

山水蒙四爻の応爻と比爻 応爻の初爻とは「陰と陰」であるから引き合っていない。 初爻は四爻の助けにはなってくれないということである。

さらに「比爻関係」はどうだろうか? 比爻を見てみても、この四爻が陰であるのに対し、隣り合う三爻も五爻も陰であるから「比する爻もない」ことになる 。

このように応爻も比爻も、陰陽で引き合う関係が全く得られないことを「応も比もない」などと表現し、孤立状態にあるとする。
また、この山水蒙の卦は、先生である二爻と、どのような関係にあるかが大事なのであるが、四爻にとって二爻(先生)は陰陽を問う以前に、応爻でも比爻でもないため縁が持てない位置にいる。 これでは二爻の先生に導いてもらうことができない。

結果、この四爻には、どのような意味が付けられているか…、 山水蒙四爻の説明を読んでほしい。 このように易経とは、ちゃんとした理由に基づいて全ての卦・爻に意味が付けられているのである。