本文へスキップ

易経は未来を覗く双眼鏡・・・・・ -易経研究会-

電話でのお問い合わせはTEL.0250-27-1743

〒956-0864 新潟市秋葉区新津本町4丁目16-17

易経についてHISTORY

易経の歴史

 易経は中国周時代に出来たもので、約三千五百年の歴史があります。易経は儒教の経典である五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)のトップにあげられ、孔子並びにその弟子達により解釈がつけられ、 十翼という書物として記された。
易は伏犠(ふっき)によって作られ、周の文王により大成されたといわれている。易経は、彖
(たん)辞(卦辞−64卦)を約三千年前に周の文王が創り、その子の周公が爻(こう)辞(384爻)を創り、その後、約二千五百年前に孔子が翼伝である彖伝や象伝などの十伝を創られ現在に伝えられている。

十翼の内容:
「彖伝(たんでん)上・下」=「周易上・下経」の卦辞の注釈文があります。
「象伝(しょうでん)上・下」=六十四卦各卦の象形の意味についての解説と、それぞれの爻辞(こうじ)の注釈があります。
「文言伝(ぶんげんでん)」=六十四卦の基本の位置を占め最重要となる乾(けん)と坤(こん)のみついての解説があります。
「繋辞伝(けいじでん)上・下」=易の成り立ちや易の持つ思想や占いの方式などが付記されています。
「説卦伝(せっかでん)」=六十四卦の基盤となるもととなる八卦の概念などについて記されています。
「序卦伝(じょかでん」=「周易上・下経」での六十四卦の並び方についての理論の解説があります。
「雑卦伝(ざっかでん」=易占いのための卦象の短い説明を各卦ごとに用意してあります。


三聖人とは:
 易経には「易は聖人の著作である」とあり、説卦伝の「昔者(むかし)聖人の易を作るや」も同意語です。
昔からの言い伝えでは、伏羲(ふっき・伝説上の帝王で三皇の一人)が八卦と六十四卦(神農が重卦作成説も)を作りました。
続いて周の文王が卦辞と爻辞(息子の周公爻辞作成説も)を作ったとされます。
それに続いて孔子が「伝(十翼)」を書いて周易が完成します。
これによって、この「易」の作成に関わった三人、伏羲、文王・周公親子、孔子を「三聖」と呼ぶようになりました。


易の成り立ち・易経の基礎知識

易の文字の意味:易経の易は「日」と「月」の2字からなる。日は陽で月は陰を表す。(日の文字の下に月を横向きに置くと易の字になる)
「易」には「易簡」、「変易」、「不易」という3つの意味がある。
易簡とは 世の中はシンプルで簡素にできている すべてのものは変わる その変わり方には一定不変の法則がある 天地の法則を理解すれば難しいことはなにもない 変易とは、 世の中のものはすべてが刻々と変化し、変わらないものは何一つない。時も物も環境も家庭もひとりひとりも何もかも変化していく 不易とは 変化の仕方には一定不変の法則がある 日月星の運行 春夏秋冬、季節の変化の仕方は不変 ・・・・・という意味である。
易経の「経」は道や理のことで、天の理や人の道を解明した書物を「経」という。 「卦は圭である」が、「圭」は圭表「日時計」で『易経』を生み出した基本的な道具である。
 道(タオ)とは:「一陰一陽 之を道と謂う」(繋辞上伝) 「陰になったり陽になったりして無限の変化を繰り返すはたらきそれを道という」 。


陰陽と五行について

 易の根底にあるのは陰陽の概念である。春夏秋冬がなぜめぐるのかというと、夏(陽)と冬(陰)が入れ替わり変化すればこそ、循環していくという考え方である
(図1)
易は宇宙の変化を象るために、すべてのものが陰と陽で成り立っていると考えた。そして、陰陽は互いに相反しながらも、交ざり合おうとして大きな循環をおこし、あらたな進化をするとしている。

陰と陽は図のように陽の中の陰と陰の中の陽に分かれ、そこから八卦が生ずる。

図2


八卦太極図(図2)は易の構成図である。陰は--、陽は―という記号(爻)であらわす。まずはじめに「太極」をおき、そこから陰陽が生じるとした。太極とは、陰陽に分かれる前の混沌とした宇宙の始まりと考える。右も左も縦も横もない、有も無もないものである。そこから陰陽の両極は発生するとして、便宜的に消極を陰、積極を陽として、正反対の特徴に分ける。




中国の春秋戦国時代頃に発生した陰陽説と五行説、それぞれ無関係に生まれた考え方が後に結合し、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)が出来た。陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、「五行易」などより複雑な事象の説明がなされるようになった。


河図洛書について

  「河図」は易経の八卦の元になったとされる図で、中国の伏羲の世に、黄河から現われた竜馬の背中の渦巻いた毛を写したとされている。
「洛書」は『書経』「洪範伝」の元になったとされる文で、夏の禹王の時代に、洛水という川の洪水治めた後に現われたとされる、神亀の背中に書かれていた文字を書き写したとされている。  




先天八卦と後天八卦

『易経』は、まず伏羲が八卦をつくり、周の文王がこれに卦辞を作ったという。この伝承にもとづき南宋の朱熹は、繋辞上伝にある「太極-両儀-四象-八卦」の生成論による「乾兌離震巽坎艮坤」の順序を伏羲が天地自然に象って卦を作ったことに見立てて伏羲先天八卦とし、説卦伝にある「父母-長男長女-中男中女-少男少女」の生成論にもとづく「乾坤震巽坎離艮兌」の順序を文王が人々に倫理道徳を示すために卦辞を作ったことに見立てて文王後天八卦とした。


  
    先天八卦図  と  後天八卦図
    


追加予定スペース

○○

追加予定スペース

○○


information

易経研究会

〒956-0864
新潟市秋葉区新津本町4丁目16-17
TEL.0250-27-1743